大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(ワ)4732号 判決

原告(反訴被告、以下単に原告という) 新倉舜作

原告(反訴被告、以下単に原告という) 山崎種二

右両名訴訟代理人弁護士 吉沢喜作

被告(反訴原告、以下単に被告という) 佐藤義郎

右訴訟代理人弁護士 村上守

主文

一  本訴につき

原告らの各請求を棄却する。

二  反訴につき

原告らは被告に対し、別紙物件目録記載の土地につき所有権移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用は本訴、反訴を通じて全部原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  本訴請求の趣旨

別紙物件目録(一)記載の土地が原告らの所有であることを確認する。

被告は原告らに対し同目録(二)記載の各建築物を収去して右土地を明渡し、かつ昭和四三年一〇月八日以降右明渡しずみに至るまで一ヶ月金一、五八〇円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

2  反訴につき

被告の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二  被告

主文と同旨の判決。

第二当事者の主張

一  原告ら

1  本訴請求原因

(一) 別紙物件目録(一)記載の土地(以下本件土地という)は原告らが昭和一六年一一月二六日売買により、その所有権を取得し、同日その旨の登記を経由した。

(二) しかるに被告は本件土地上に同目録(二)記載の各建築物(以下本件各建築物という)を所有して右土地を法律上の占有権原なく占有し、そのため原告らは毎月一、五八〇円の割合による地代相当の損害を蒙っている。

(三) そこで原告らは本件土地の所有権の確認ならびに被告に対し右各建築物を収去して本件土地を明渡し、昭和四三年一〇月八日以降右明渡しずみまで一ヶ月金一、五八〇円の割合による金員の支払いを求める。

2  被告の抗弁事実および反訴請求原因事実に対する原告らの認否

被告が本件土地所有権を時効により取得したことは否認する。

(一) 被告主張の(一)の事実は否認する。

原告らは昭和一六年一一月本件土地を含む附近一帯の土地(原野)約三町三反歩(一五、〇〇〇坪)を宅地造成の目的で買受け所有した。右一帯の土地は多摩川堤防に並行して接する道路に面する原野であって昭和二五年頃より訴外西部鉄道株式会社が宅地造成工事を為すまでは灌木雑草の生茂る荒蕪地であった。そして本件土地部分はこの一帯の土地の東北端であって砂利を採取したあとであるから真中は穴のように深くなっており到底耕作など出来る土地ではない。

(二) 本件土地を含む三町三反歩の原告ら所有地のうち昭和二三年七月及び一二月に畑二反三畝二歩、畑一反三畝一〇歩の外、二四一坪の各土地の買収処分を受けたことはあるが、周辺一帯の土地がすべて買収処分を受けたのではない。右買収を受けたのは横田珍任等が当時現実に耕作していたからであって、何人も耕作していなかった本件土地が買収されなかったのは当然である。

(三) 被告主張の(三)の事実中、本件土地が買収されず、従ってまた横田珍任に売渡しの手続がとられなかったこととおよび本件土地の地目が原野であったことは認めるが、その余は否認する。

(四) 被告のその余の主張事実は全て否認する。殊に横田、行田および被告は本件土地を耕作その他の方法で占有したことがなく、ただ昭和三三年一二月九日以降隣地につくられた鶏小屋の一部が僅かに本件土地に喰込んでいるに過ぎない。

二  被告

1  本訴答弁

請求原因(一)項の事実は認めるが、本件土地は昭和二五年頃原告らより訴外西武鉄道株式会社に売り渡されたので、原告らは既に本件土地所有権を失った。

請求原因(二)項の事実中、被告が本件土地上に本件各建物を所有して右土地を占有していることを認めるが、その余の事実は争う。

2  本訴抗弁および反訴請求原因

被告は民法一六二条一項により、本件土地の所有権を時効取得した。即ち、

(一) 本件土地は、代々横田珍任一家が耕作してきた土地であり、実測面積は三七四・六一八平方米(一一三・三二二坪)である。

(二) 本件土地を含め、その近隣一帯の土地は、昭和一六年ころより原告らの所有地であったが、戦後、自作農創設特別措置法の施行により、不在地主である原告らより、本件土地の周辺一帯の土地はすべて買収され、各耕作者に売渡された。

横田珍任が耕作していた本件土地に隣接する府中市押立町五丁目一五番の二(旧地番植木嶋一六九一の一二)の土地五六坪(以下隣地という)も買収され、昭和二三年七月二日付をもって、横田珍任に売渡された。

(三) しかし、なぜか、本件土地のみ買収もれにあい、従ってその耕作者である横田珍任に売渡す旨の手続がとられなかった。

本件土地の地目は原野となっているが、農地解放当時は隣地と一体となって畑として利用されていたのであり、現況が農地であるものは買収されたものであるから、当然買収されているはずの土地である。

本件土地が買収もれにあった理由は、まず、農地解放の手続がかなり杜撰なものであったこと(たとえば、買収計画の基礎となるべき一筆調査も、耕作者の申出をうのみにしており、公図による確認が十分に行なわれていなかった)、また、地番等に不案内であった横田珍任が、本件土地と隣地が合して一筆の土地だと錯覚し、隣地の地番のみにつき農地委員会に買受申請し、本件土地については買受申請をしなかったこと(横田珍任は、隣地の地番に本件土地も含まれていると考えていた)などが考えられる。

(四) 農地解放当時、本件土地と隣地とは合して一筆の土地として取扱われていたのであり、このことは、昭和二二年ころ実施された一筆調査に際し打ちこまれた木製の杭が、別紙図面A点には打ちこまれていない事実さらに隣地の面積は一畝二六歩(五六坪)であるのに隣地は「三畝」として買収され、売渡されている事実(つまり、隣地と本件土地とが合して一筆と考えられ、その面積が三畝と目測されたのである)からも推察される。

(五) かように、本件土地については、横田珍任に売渡す旨の手続は現実にはとられていなかったのであるが、横田珍任は、隣地の地番中に、本件土地も含まれていると錯覚したため、隣地の売渡をうけたことにより、本件土地の所有権をも取得したと信じ、隣地の売渡しをうけた昭和二三年七月二日以降、本件土地を畑として耕作し、所有の意思をもって、平穏且つ公然に本件土地の占有を継続してきた。

(六) そして、昭和三三年中頃に、横田珍任は、本件土地及び隣地を行田寅一郎に売渡した。

行田寅一郎もまた、所有の意思をもって、平穏且つ公然に本件土地の占有を続けた。

(七) そして、昭和三三年一二月九日頃、五十嵐一三の仲介により、被告は、行田寅一郎より、本件土地及び隣地を買受けた。

売買契約書において、畑三畝歩と表示されているのが本件土地と隣地に相当する。

右売買契約の際、被告は行田寅一郎より、土地登記権利証を、買受けた土地の権利証である旨告げられて交付され、また、近隣の農家の人々から買受けた土地は行田寅一郎の前主である横田珍任一家が代々耕作している土地であり、農地解放により横田珍任に売渡された土地である旨確認したので、被告は行田寅一郎より正当に本件土地の所有権を承継したと信じ、買受けた昭和三三年一二月九日ころより現在に至るまで、本件土地に鶏小屋を建て、また、一部を畑に使用して、所有の意思をもって平穏且つ公然に本件土地の占有を継続してきた。

(八) よって、被告は横田珍任と行田寅一郎の占有期間と自己の占有期間を通算し、昭和二三年七月二日ころより、昭和四三年七月一日ころまで、所有の意思をもって二〇年間平穏且つ公然に本件土地の占有を継続してきたから、民法一六二条一項により、昭和四三年七月二日ころ本件土地の所有権を時効により取得している。

(九) 従って被告は本件土地を明渡す義務がないのみならず、原告らに対しその所有権移転登記手続を求める。

第三証拠≪省略≫

理由

一  本件土地は原告らが昭和一六年一一月二六日売買によりその所有権を取得したものであり、同日その旨の登記が経由されたこと、本件土地上に被告が原告主張の各建築物を所有して本件土地を占有していることはいずれも当事者間に争いがない。

二  被告は、原告らが既に本件土地を訴外西武鉄道株式会社に売り渡して所有権を喪失したと主張するところ、右権利移転の有無は、しばらくおき、≪証拠省略≫によると登記簿上東京法務局府中出張所昭和二五年七月一八日受付第六二一五号をもって西武鉄道株式会社に対し、所有権移転登記がなされたが、昭和三三年三月六日受付第三四九四号をもって錯誤を理由に右移転登記の抹消登記がなされたことが認められる。

そこで、次に被告の取得時効の抗弁について考える。

≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

本件土地、即ち府中市押立町五丁目一五番一(旧称、大字押立字植木嶋一六九一ノ一八)原野五畝八歩は、その東側に隣接する同所一五番二(旧称、字植木嶋一六九一ノ一二)宅地五六坪(旧称、畑一畝二六歩)と共に亡訴外横田珍任の先代源吉が大正一〇年頃以前から当時の地主より賃借して鶏の飼育や畑作等に使用していた。もっとも右両土地は一筆をなすものと理解され、一体的に使用されていた。地代は昭和の初め頃までは地主に支払っていたが、その頃から取立に来なくなったので、払わずにいた。ところで、前記一五番二の土地については昭和二三年七月二日自作農創設特別措置法により買収処分の上、同日、前記横田珍任に対して売渡処分がなされ、昭和三三年四月一一日同人のために所有権移転登記が経由されたが、本件土地についてはなぜか右買収、売渡の処分はなされなかった。しかし横田珍任は上記事情から本件土地は前記一五番二の土地の一部をなし、従って同地に関する前記売渡処分によって本件土地の所有権も取得したものと信じ、以後引続き、本件土地を右同地と共に、畑作等に利用していた。その後横田珍任は昭和三三年夏頃訴外行田寅一郎に対して本件土地および一五番二の土地を併せて一筆の土地として売却し、被告は同年一二月九日養鶏を行う目的で行田からこれらの土地を併せて、旧称の植木嶋一六九一番の一二、畑三畝歩として買い受け、爾来ここに鶏舎、物置その他の附属施設を設けて使用している。被告はこれらの土地の実際の面積が三畝歩よりかなり広いとは思ったが、近所の人の話により、この附近の土地は一般に繩延びがあるということを聞いていたので、格別不思議に思わなかった。なお、右土地の面積の表示は右買受に際し、被告が行田から土地の権利証であるとして受領した東京都知事の横田珍任宛売渡通知書の土地の表示に基づいたものである(もっとも右土地の表示は、≪証拠省略≫との対照によりもと大字押立字植木嶋一六九一番三、畑三畝歩に関する記載であったのを同番一二の表示に改めたものであることが看取されるが、その主体、時期、目的等については明らかでない。これに関し、≪証拠省略≫によると、東京都知事が昭和三三年四月一一日東京法務局府中出張所に対し、右同番一二の土地につき農林省のため昭和二三年七月二日付自作農創設特別措置法第三条による買収を原因とする所有権取得登記の嘱託をした際の表示には、同地の反別として一反三畝と記入された後、抹消され改めて、一畝二六歩と記入されたことが推認されるが、右訂正の経過についても明らかでない)。

他方原告らは前記一五番二の土地の買収、売渡の各処分がなされた後未だその登記がなされていない間の昭和二五年七月一八日右土地および本件土地を含む近辺一帯の所有地について、これらを訴外西武鉄道株式会社に売り渡したものとして所有権移転登記を経由した。しかるに前記のとおり一五番二の土地その他については既に原告らを所有者として買収、売渡の各処分がなされていたので、右手続遂行の必要上その後府中市農業委員会と西武鉄道との間で種種折衝の結果、昭和三三年三月六日西武鉄道は錯誤を理由に前記所有権移転登記の抹消登記手続をなし、一五番二の土地その他、買収、売渡の各処分のなされている土地についてはそれぞれその旨の登記がなされた。本件土地については右各処分はなされていないのに、右各処分のなされた他の土地と同様に西武鉄道に対する所有権移転登記の抹消登記がなされ原告らの共有名義に復帰した。しかして原告らはその後本件土地についてなんら権利行使をすることがなかったが、昭和四三年に府中市長から本件土地の固定資産税課税通知を受けたので、旧知の印藤金之助に依頼して本件土地を調査し、昭和四四年五月本訴を提起するに至った。

被告は、前記のとおり、本件土地と前記一五番二の土地を一筆の畑三畝歩として買受けたが、その後間もなく農業委員会に対して宅地転用許可申請手続をしたところ、その調査の結果、右土地が二筆に分れており、本件土地の登記簿上の権利関係の記載が前記のとおりであることが判り、右一五番二の土地(旧、畑一畝二六歩)についてのみ前記許可を得た。被告はそこで前記横田方を訪れて事情を訊したところ、同人から、本件土地と一五番二の土地は同人の先先代から使用していたのであるから、そのような筈はない、何かの間違いであろうといわれたので、これを信じ、行田との前記売買契約によって、本件土地所有権を取得したものとして、爾後の使用を継続した。

≪証拠判断省略≫

以上認定の事実によると、本件土地は、昭和二三年七月三日横田珍任が所有の意思をもって占有を開始して以来、行田、被告へと順次右占有が引き継がれ、平穏、公然に継続して二〇年以上を経過し、これによって被告は昭和四三年七月二日の経過をもって本件土地所有権を時効取得したものというべきである。

従って、原告らは本件土地所有権を西武鉄道に移転したか否か、移転後再取得したか否かはともかく、いずれにしても、もはや所有権を有しないのであるから、その所有権の確認とこれを前提として本件土地の明渡等を求める原告らの本訴請求は失当として棄却すべきであるが、被告は上述のとおり、本件土地所有権を時効取得したのであるから、現在の登記名義人たる原告らは被告に対し、本件土地について所有権移転登記手続をなすべき義務があり、これを求める被告の反訴請求は相当として認容すべきである。そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤安弘)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例